三崎の漁港が好きでした。そこに住んでみたいと思いました。でも、今は違う。

先日、三崎のお祭りに行ってきました。夫婦の獅子が頭を振り、勇壮に突き進んでいく、という港の祭りです。昨年も訪れ、その魅力にはまっていました。

今年。例年よりも、規制が厳しくなったらしく、夜中の1時までやっているはずが、11時にはおわってしまっていました。

その11時近くに着いたわたしは、獅子が神社に奉納されるその姿しか見ることができなかった。落胆にしょぼくれつつ参道を帰る道すがら・・・

背後の居酒屋から、いきなりガラスが飛び散りました。1回だけでなく、3回も。その後、ガラスのなくなった扉から、1人の男がふらっと出てきました。

右手は血まみれ・・・その男は、血を滴らせ、ふらふらと去っていきました。

数分後、店の亭主らしき人が数人の男に喉首を締め上げられるように、店を出てきました。縁石めがけて亭主を放りなげるいかつい男。何かを怒鳴ってい るようですが、何を言っているか、ここまでは聞こえてきません。数人の男たちは、そのまま去っていき、亭主は奥さんに肩を抱えられ、店の中に入っていき ました。

それを見ていた見物人がさまざまな話をしていました。「親子喧嘩らしいよ。それじゃあ、しょうがないわよねえ」。

その後、血まみれの男が去っていった後をたどってみました。点々と、血のあとがついている。ある、路地の角でどこへ行ったかわからなくなりました。

そして戻る道すがらも血の跡を確認しようとしましたが、多くの人の地下足袋にもみ消されてしまったようです。足袋にはあの男の血が吸われているので す。

最後にちらっと店を覗きました。奥さんが、うつむいて、ガラスの破片が飛び散る床を掃除していました。

ここからは私の主観です。

港街の住人は、どこで誰が生まれたのか、どう育っているか知り尽くしています。普段は、縁側にのんびり座り、近所ごとを話しあう、それだけの親密さを感 じます。

しかし、一歩踏み入れれば、確執も露にし、人と人の間に踏み込むような関係でもあります。都会に住み慣れた人には、とうてい理解できないような、深いつ ながりと怨恨。

わたしは、自分が、三崎に住みたいと、軽はずみに思ったことを恥じています。それだけの濃いつながりをしていけるのか。近所の他人がどう生活してよう と、気にしない、そういう関係性しかもてないわたしがそこに入り込んだところで、変人扱いされる。噂に対象になる。そういうこともありえる。

今回の一件で、三崎が怖いと思いました。素敵な街だけど、怖いと思いました。いつか住めるだけの強さを持ちたい、強くなったら住めると思いました。

もう少し、通わなければならぬ。

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