一言一句に、文句を付けられると腹が立つよね。素直に反省しろだと?お前がそう感じるのはバカだと?

そんなにバカじゃあないのよ。わかってながら、自分の外っかわのキャラクターに忠実に言ってるだけじゃあ、ないかよ。

ああ、自分は何も考えてないさ、ああ、そうさ、仕方ないさ、そのくらいの実績しか残してないんだからさ、そう思われてもしようがないさ。

誰が一番表現ベタなのかくらいわかれよ、さ。

と逆切れもしたくなるさ。あー、もう腹が立つ。

うまく立ち回れなかった自分にも腹が立つ。
なにさ、次はわたしなのかっ?



転じてしまいました

2002年12月24日
なんとも色気のない日記が続いていましたが、
転じて、
恋する28歳になりました。

わーい、おめでとー。

って、かなってもいない恋ですが。

あまり今まで経験したことのない気持ちですが
今のところ、想っているだけでもいいや、と
いう感じです。

む、オトナの余裕か。
いやいや、年寄りの臆病なのですよ
みなさん。
関西人でもないんですが、思わず、そういわずにはいられない。

先日後輩が会社を辞めまして。
まあ、いろいろありまして。

その後、ひとづてに聞いた話だと、その辞めた経緯の中で「対人恐怖症」になったのだという。

それを聞いた直後、かなり落ち込みました。そうか、そこまで追い込んじゃったか、わたしたち。

しかし、今思うに。

ふ、ふざけんな、そんなの相打ちじゃねーか。
あんたが、傷ついたと感じたぶん、こっちもやられてんだっちゅーの。
そりゃ、こっちが年上だよ。心が広くないって言われればそれまでよ。

でもさ、あんたは、あんなに「すみません」と謝ってたくせに、何よ、他の人には「あのせいで対人恐怖症になりました」っちゅーわけですか。

だったら正面きって言えばいいんじゃないすか。

悪いけど、同じ憂き目をみて、こんなに立ち直ってるわたしに関わるまえでそれは言わんでほしいわよ。

わたしより学歴は上でさ、
「知らんふり上等」で自分の賢さ(?)かくしてきたわたしの前で、それ言うか。

はー。

それをいいたかっただけです。
ほんとは今も落ち込んでます。
だって、何もできなかったんだもん。

傍観者

2002年12月17日
いつも、思うのだけど。
わたしは傍観者だ。

目の前で、誰かが悲しい目に合い、
誰かが深く傷ついているのに、
手を差し伸べられない。

どころか、思いっきり突き飛ばしたりする。
あ、それは傍観者じゃないか。

卑怯者なんだろう。
自分が傷つきたくないから、
手も差し伸べないし、
自分がら遠くへ離そうとするんだろう。

わたしは
何も守らない。
誰も大切じゃない。
そうなんじゃないか、と思う。

考えてるのは自分の保身だけで、
ただ波風たたず、
いつでも日向の縁側に座って、
目の前の雨や風を見ているだけでいたいと
そう思っているんだ。

縁台に登ってくるいやな虫は見てみぬふりをする。殺虫剤で殺したりもする。
雷は遠くで鳴っているんだと思う。
自分の上に落ちるまでは。

さいてーだ。
なんでこんなことになってしまったんだろう。
そう思う自分も最低だ。
だって、もう30になるんだよ。
もうオトナなんだよ。


久々に浸りモード

2002年11月30日
クワタケイスケのベストを買って、ウォークマン(ふるい?)で聞いてたら、普段思い出さないようなことを思い出した。

恋の過程とか、顛末とか。仕事の挫折とか・・・
それも、25歳すぎてからの身近な思い出。

いやあ、切ない、切ない。しんどい、苦しい、今でも好きだ、戻りたい、でも戻りたくない・・・etc。

思い出ってのは、普段気が付かない、クリーニングの名札みたいなもんでね。

ちょっとしたことで、うわ、そんなこともあったね、と思う。
前の彼にふられて1年記念であると同時に、彼氏いない歴1年記念でもありますです。

過去最高記録を抜きました。ははは。

あせりがないかといえば、ないわけじゃない。
でもなー、まだいいか、と思う。もーすこし、ひとりでいてもいいか、と思う。

ちょっと前のわたしの悩みは、1人でいられないことでした。海へ行っても、陸のほうばかり見ている人間で。

今はひとりでぼーっと、海を見られる。ひとりで家でじっとしていられる。

そういう自分になりたい、と思っていた自分になってるから。今、またもとに戻りたくないから。

しばらくひとりでいることの楽しみが完璧に自分のものになるために。

もーちょっと、いいかな。
おととしの今頃、何やってただろうって、テレビで「風花」見ながら思った。

ちょうど前の前の彼氏にふられるまでのカウントダウンまっさかりだった。
なのにのんきに不倫してた。あはは。

去年の今頃なにやってただろうと思う。
そうそう、去年の今頃も前の彼氏にフラれるまでのカウントダウンだったんだな。はははー。

「ばっかみたい」
「はずかしかったです」

風花のセリフ、そのまんまだな。

今のわたしも恥ずかしいけど、思い出すほど恥ずかしいかというと、そうでもないんじゃないか、と思う。

来年の今頃、何を思っているのかな、なんつーのは、鬼の笑う話。

恋をしてません。だから悩むことがありません。

そんなに何かに悩みたいか、というと、そういうわけでもない。悩みなんてないほうがいい。毎日一喜一憂してたら体が持たない。

だから、今とっても気楽です。仕事とその周辺のこと、それから家族のこと友達のことを考えてるだけですみます。

でも、そんなわたしをカタワだと思います。

本棚

2002年10月10日
わたしの部屋に来た人は、一様に「女の部屋じゃあないみたい」と言います。

そりゃ、そうだよなあ。花柄もチェックもない。料理本も女性誌もない。

目につくのは、メットが3こと工具箱、パソコン2台。ビールの空き缶。まあ、男の部屋にしちゃあ、キレイなほうかな。

特に顕著なのは、本棚。少年誌のマンガ本と山登りの本、バイク雑誌、村上龍と開高健、それからパソコン本。うーーーん。

炊事もできるのよ、洗濯だった掃除だっててきぱきするし、あ、裁縫も得意よ。

ってさ、典型的な独身30代男、みたいじゃあ、ない?って自分で突っ込んでみたりして。

いやはや。おっさんか、わたしゃ。

人間なんて、いやだ

2002年10月9日
と、クワタケイスケは歌っている。

自分がかっこ悪いと気がつくことが、いいことだとも思うし、よくないことだとも思う。

かっこ悪いことを知らないまま、かっこわるい人生を送ることは、本当にかっこわるい。でも知らないから幸せ。

かっこ悪いことを知ってしまえば、それを直そうとする努力ができるからいい。でも、知ってるだけ、なかなかかっこいい自分になれなくて、落ち込む。

人間はカンタンにはいかない。思うとおりに生きられない。

ここでいつも動物をひきあいに出すのだけど、動物は生き抜くことしか考えなくていいから、いいと思う。

でも、それだけに哀れな感じもする。

いちがいに人間なんて、いやだ、とは言い切れない。かっこ悪いことに気がついた自分がいやだとは言い切れない。気がつかない人を哀れとは言い切れない。

困ったな、かっこよくなりたいのに、

通じ合わない2人

2002年9月25日
恋愛関係ではない2人。年の差は10歳以上はあるでしょうか。最近までとても仲良しだったのに、ある日突然通じ合わなくなってしまった。

何が起因だったのだろうか。知る由もない。ある日、突然、一方は一方を攻め、一方は一方に心を閉ざし、話をしても平行線のまま。

本当は、深い根っこの部分で、お互いの気持ちはわかりあっているような気がするのに。わかっているからこそ、許せないのか尊敬できないのか。

人と人がわかりあえなくなってしまうときって、いつも同じだ。ほんとうのやさしい、かなしい心が気持ちの底に押し込められてしまったときだ。自分に自分の言い訳をつくってしまったときだ。

あとで思い出せば、本気で話し合っていたことさえも、偽りに思える。本当は、ほんとうは、そんなことが言いたかったわけではなく。

本当に、心配してるんだよ、本当にわかってほしいんだよ、ってそれだけなんだと、思う。

坂本竜馬が、薩長同盟を成し遂げたときのひとことは、坂本が西郷に言った「長州がかわいそうじゃないか」という、本気の涙混じりの一言だと、いう。それで犬猿の仲であった両藩の気持ちはほどけ、歴史が変わったのだと、司馬遼太郎は言っていた。

そんなに大げさなものではないにしろ、そういうもんだと思うのに・・・。わたしはこのまま黙って見ているだけで、いいのだろうか。
久しぶりに書きます。いろいろ書きたいことがあるんだなあ。でも、最後はひとつにつながるよ。

表題の件。知り合いがガンの疑いがあることを知った。入院&摘出手術だそうだ。転移する可能性の高い場所らしい。

あまり親しくないだけに、心配したって、何もならないから、何にもできないんだけど、とにかく「死んではだめだ」と思っている。ん?おこがましいな。死ぬわけない、と思っている。

先祖の墓参りをした。十数年いってなかった。すげー不義理だ。目の前にいもしない先祖たちに叱られた気分だった。これからは毎年、いけなくても2年にいっぺんはいかなくっちゃ。

ビーナスラインを走った。長野の。けっこう有名だと思うんだけどなあ。ここはいいよ。すごくいい。初心者ライダーでも気持ちよく走れるし、なんていったって、きれいで済まされない、研ぎ澄まされた山々と雲が待っている。

さて、最後につながること。どれもがいろんな意味で、「現実離れ」した出来事だったのだ。

生まれたときから同じ場所に住みそこが先祖代々の場所で、お墓参りが日常になっている人もいると思う。

山や海が近くにあって、それを毎日のように眺められる人もいると思う。

身近な人がずっと病気で、いろんなことが起こっている人もいると思う。

それがわたしは、なんの因果か、そういったことに一切関わらずに生きてきてしまった。だから、不思議で、人間離れした世界に思えたの。

同情とか感動とかいう言葉で言ってしまうと、すごくうすっぺらなものにしか思えないのだけれど。

違うの、なんか、もっと根本的なものを感じました。それを、今更感じてしまうのは、なんだか軽薄だとおもう。

もっと大事なこと。失ったものというより、知らないままで育ったことが恥ずかしい。

それは、わたしの知っている言葉で言うと「自然のルール」?「生きているものの自然な感情」?

うーん、わからないけど・・・
もしよかったら、わたしと正反対の人生をおくった人に意見を聞いてみたいのです。

示談交渉だぜ

2002年7月28日
こんにちは。久しぶりです。思うところなく、しばし中断してました。

さて、首記の件。実は先日、事故にあいました。前方を走っていた車が、後方確認をせずのいきなりの右折。わたしは、バイクもろとも、車の側面につっこん でいったわけです。

相手は、友人から車を借りていたとのことで、相手自信の支払いによる、示談交渉となっています。

本日、生まれて初めて「示談書」とやらを作ったよー。

女はナメられがちで、しかも、一回示談で支払うことにしましょう、と約束しても、約束どおり支払われないことも多いってことで、相手に対する同情は一切抹 殺して挑みます。

しかし、やっぱり、こーゆーとき、頼る相手のいない切なさに身をつまされます。

事故当日、壊れたバイクで家路へ向かい、着いたのは明け方。国道のかなたに朝日が雲間に現れ、風景を紫に染めるころ。

その風景に、人生が集約されてるような気になってしまいました。

いやいやいや、強気でいきまっせ。
三崎の漁港が好きでした。そこに住んでみたいと思いました。でも、今は違う。

先日、三崎のお祭りに行ってきました。夫婦の獅子が頭を振り、勇壮に突き進んでいく、という港の祭りです。昨年も訪れ、その魅力にはまっていました。

今年。例年よりも、規制が厳しくなったらしく、夜中の1時までやっているはずが、11時にはおわってしまっていました。

その11時近くに着いたわたしは、獅子が神社に奉納されるその姿しか見ることができなかった。落胆にしょぼくれつつ参道を帰る道すがら・・・

背後の居酒屋から、いきなりガラスが飛び散りました。1回だけでなく、3回も。その後、ガラスのなくなった扉から、1人の男がふらっと出てきました。

右手は血まみれ・・・その男は、血を滴らせ、ふらふらと去っていきました。

数分後、店の亭主らしき人が数人の男に喉首を締め上げられるように、店を出てきました。縁石めがけて亭主を放りなげるいかつい男。何かを怒鳴ってい るようですが、何を言っているか、ここまでは聞こえてきません。数人の男たちは、そのまま去っていき、亭主は奥さんに肩を抱えられ、店の中に入っていき ました。

それを見ていた見物人がさまざまな話をしていました。「親子喧嘩らしいよ。それじゃあ、しょうがないわよねえ」。

その後、血まみれの男が去っていった後をたどってみました。点々と、血のあとがついている。ある、路地の角でどこへ行ったかわからなくなりました。

そして戻る道すがらも血の跡を確認しようとしましたが、多くの人の地下足袋にもみ消されてしまったようです。足袋にはあの男の血が吸われているので す。

最後にちらっと店を覗きました。奥さんが、うつむいて、ガラスの破片が飛び散る床を掃除していました。

ここからは私の主観です。

港街の住人は、どこで誰が生まれたのか、どう育っているか知り尽くしています。普段は、縁側にのんびり座り、近所ごとを話しあう、それだけの親密さを感 じます。

しかし、一歩踏み入れれば、確執も露にし、人と人の間に踏み込むような関係でもあります。都会に住み慣れた人には、とうてい理解できないような、深いつ ながりと怨恨。

わたしは、自分が、三崎に住みたいと、軽はずみに思ったことを恥じています。それだけの濃いつながりをしていけるのか。近所の他人がどう生活してよう と、気にしない、そういう関係性しかもてないわたしがそこに入り込んだところで、変人扱いされる。噂に対象になる。そういうこともありえる。

今回の一件で、三崎が怖いと思いました。素敵な街だけど、怖いと思いました。いつか住めるだけの強さを持ちたい、強くなったら住めると思いました。

もう少し、通わなければならぬ。

恋花

2002年7月21日
1ヶ月前に書いた恋花ですが、あらら、あっというまに散ってしまいました。

別に、告白してフラれたわけではありません。

すぐに行動しなかったゆえか、離れている相手ゆえに、情熱ってヤツが醒めてしまいました。

恋は熱いうちに打て。
ええ、皆様にはそうお勧めしますとも。
久々に、高校時代の友人および知人および同級生と会いました。中にはあまりしゃべったことがない人もいた。

その、あまりしゃべったことのない人の中に、ちょっと!ちょっとちょっとちょっとお!素敵な人がいたんですよおおおお。高校時代にはぜんぜん気がつかなかった。

とっても柔和。そしてめったに自分から話したりしない。でも、ときどき、たとえば返事を求められたときには、ハッキリ自分の意見を言う。「最近、彼女とかどうよ?」と聞かれて、「いないよ。今そういうの、興味ないし」とか、「40歳・50歳になってもかっこいいかどうかってのは、外見じゃないでしょ」とか。まあ、そういうせりふは普通に言うかもしれないけれど、なんか普通の言葉じゃなく、意志を持った言葉、心からそう言っている言葉に聞こえた。

そのとき、わたしはバイクで来ていたから酒を飲んでいなかった。
なので、酔っていなかった。

顔は正直言って、好みでは、ない。一般的に言ってもかっこいいほうかどうかは、わからない。でも、すごーく惹かれてしまった。

しかも、その人はバイク乗りである。
しかも、ものを書く仕事をしているのである。
でも、貧乏である。しかーし、そんなことはどうでもいいのだ。

こりゃあ、すごいですよ。
これは運命の出会いかもしれませんよ。

結婚=幸せか?

2002年6月3日
てな、ことを、たじまよーこ先生が、テレビ番組で講じておりました。見てて、ちょっと切なくなっちゃってねえ。番組内で「結婚して幸せになった」女性が、「たじまさん、結婚はいいですよ、してください」とコメントしたときの、たじまさんの顔。

かくいう私も、未婚組だから、たじまさんの「主婦は自立していない」論の片棒は担ぎたい気分でもあります。そりゃねえ・・・しかしねえ、それは「結婚できない女」のヤッカミじゃないですか、正直言って。結婚して旦那がいて、そして子供生んで、それで幸せなほうが、いいじゃん、って思います。

些細なことですがね、やっぱね、早朝、目覚ましがなるまえに、目が覚めちゃったときとかさ、どっかに人の息遣いがあると、なんか安心するよな、とか。どうせ、ご飯作るんだったら、一緒に食べて、「うまい!」って言ってくれる人がいるといいな、とか。

でも、一方で、好きなときに起きて、食べたいときに飯食って、飲みたいときに酒飲んで、眠たくなったら寝るっていう生活も捨てがたいなあ。なにせ、根が自分勝手なもんですから。

誰かがそばにいるだけで落ち着くっていうのであれば、別に男である必要はないんだよなあ、とも思います。友達や、兄弟姉妹でも、親でもいいわけですし。

ええと、わたしの結論的には、「結婚=幸せ」ではない、と、やはり思います。間違った男選びをするくらいなら、一人でいたほうがいいと思うし。

そもそも、間違った男選びってのがなんなのか。
そもそも、幸せってやつがなんなのか。

わたしはどんな生き方をしても、最後には「ああ、幸せだった」ときっと思っちゃうだろうから、どんな生き方してもいいかもしれませんなあ。

うーん・・・
今、矢を射るとき、2本目の矢のことを考えるべからず。
徒然草、ですな。

漁港の朝市

2002年5月31日
神奈川県、三浦半島。横須賀、葉山、逗子。根元には鎌倉。その先端に、三崎市という小さな漁港の町があります。目の前には、城ヶ島。三崎も城ヶ島も、横須賀、鎌倉に比べればずいぶんマイナーな観光地ではあります(お住まいの方、すみません)。

しかし、好きなんだなあ。

三崎の町では毎週日曜日、朝6:00から、朝市を開いています。三崎はまぐろの水揚げで有名な漁港です。「かまとろ」を1パック1000円で売る店、平箱いっぱいのソラマメを500円で売る店。安さも魅力ですが、何よりも新鮮。コンビニで、醤油と白飯を買い込んで、港べりに腰掛けて食う。二日酔いじゃなきゃ、ビールでもいい。目の前には、夜が開けたての海。どんなもんだって、旨くないわきゃないでしょう。食い終わってのんびりしてりゃあ、見知らぬおっちゃんが、「食後のデザート」とバナナを分けてくれる。

おなかがくちくなったら、城ヶ島で昼ね。直射日光をさけて、岩場の影にレジャーシートを敷いて、寝る。横をフナムシが走っても気にしない。子供が磯で滑ってこけて水浸しになって、きゃーきゃーさわいでも気にしない。海からは風が吹いてくる。

一眠りしてすっきりしたら、三崎の町をぶらり。蔵が点在している。20分も歩けば一回りできる。木造二階建ての民家の窓窓には、洗濯物がはためいてる。鍵なんかかけない。1階の通りに面した窓も開けっ放し。壁にかかるカレンダーの予定まで見える。玄関横の縁側で、うちわをつかうお母さん。まわりを三輪車で走り回る子供。「床屋行こうと思ってるんだけど」「この時間は、混んでるってさ」そこへ来たおばちゃんが「今は混んでないよお」。

7月には祭りがある。つがいの獅子を、争わして、狭い路地を駆け抜けていく。たまたま、練習しているところに通りかかると、「あんたらもやってみるか」と獅子の袖を持たされる。びっくりするくらい振り回されて、ぜいぜい言っていると、ビールが差し出される。「本番もおいでよ」。で、本当に行ったら、「あんときの人かい」と、今度はちょうちんを持たせてくれる。ニカっと笑う。

誰かにとっては、当たり前の風景?・・・なのかもしれないですね。
えらく懐かしいのは、えらく涙が出そうになるのは、
「東京」って街で、ひとりで生きているからなのかな。

今日も三崎に行ってきました。
いいさ、どうせ、わたしは酔っ払いさ。酔っ払って大口たたいて、あれはだめだあ、お前はだめだあ、なーんて、言っちゃったりするよ。いーじゃないか、酔っ払ったときにしか、いえないこともあるってもんよー。

・・・あかんなあ。

今まで酒の席で数多くの失態を繰り返してきました。悪酔いして自分で救急車呼んだり、自転車でコケてしこたま頭を打ち付けたり、男とよんどころのない仲になってしもうたり。

・・・あかんあかん。

酒好きです。そして、極度の緊張症でもある、と思う。あんまりそう見えないらしいが。それがあいまって、若いころはまあ、楽しくはじけておりましたが、最近はロクなはじけ方をしません。どうやら「からんで」るらしい。

・・・ぜったいあかんわ。

というわけで、外で深酒はいたしません。

そう、こんな静かで、よどんだ晩にひとりで飲んで、ひとりでクダまいて、好きなときに寝る、ってゆー酒の楽しみ方もあっていいではないか。

こういう晩は、エビスをしこたま飲みます。発泡酒はダメです。ひとり酒は贅沢でなければ、なりません。


バイクに乗り始めて、一週間で、ケガしました。千葉の、海辺の道路の、砂にタイヤとられて、ふくらはぎがガードレールに挟まれました。めちゃくちゃ痛かったけど、まさかね、「皮膚が破けて」いようとは、思いませんでしたねえ。ぱっくりとあいた、タバコの焼け焦げのような傷口から見えていたのは、自分の脂肪でした。

すごいすよ。脂肪が「ツブ状」だって話は聞いたことがありましたが、そのとおり。

・・・えぐい話になってしまいましたな。セブンイレブンで、消毒液と大きめのバンコウコウを買って、なんとか応急処置をしたのが、午前中の11時。ケガのショックでなんだか異様に疲れて、2時間公園で昼寝。そのあと、まあ、帰らないことには何にもならないし、と走り続けて家についたのが、17時。さすがのワタシも病院にいかなきゃあ、これはマズそうだな、と思い診察を受けたのが18時。

「普通縫わなきゃいけないケガは、5時間以内に縫合処置しなくちゃ、直りにくいんだけどねえ」といわれつつ、4針縫ってもらいましたとさ。

教訓。
ケガをしたら、早めに病院行こうね。
そして、人間、自分のケガには意外に強い。

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